ここ数ヶ月
ここ数ヶ月間のことの記録です。
5月末に適応障害と診断され、7月末まで療養しておりました。といっても最後の方はそこそこ元気でした。
最初の方は辛くて、よく食べるはずだった自分に食欲が湧かなくなっていました。[お腹が空く]という感覚が鈍くなっていたような感じで、今の自分はお腹空いてるのかな?という感じで、空腹の状況が掴めませんでした。
他にも、頭痛やら喉の違和感(詰まり感は今も若干残っている)やら吐き気やら。最後に職場に行った日は、今思えばフラフラでした。
試験も受けるつもりが、全く準備ができなかったのと、あの状態で受けても辛いだろうというので断念しました。結局その職場からは離れることにしました。荷物取りに行った時も息が詰まりそうでかなり苦しかった。そこからなんやかんや、前の職場の先輩と連絡する機会があって、空きがあるから戻ってくる?とお声がけがあり、上の方にも色々手続きしてもらって、また戻ることになりました。8月からお仕事再開しております。私の社会人経験、すでに転々としていて、私の中に確実な「やりたいこと」がないのが丸見えですよね。ほんとにないもんな。
2ヶ月間9割くらい家にいる生活をしていると、それはそれで怖かった。このままで大丈夫なのかとか、嫌いな「社会」から離れて安心なはずなのに、不安。やっぱり社会から切り離して生きるのは険しいんだってことを突きつけられた感覚でした。そこから、なんで私は働くんだろう、とか、働いたお金で何をしたいんだろうって考えていくと、私が大切にしたい人たちと楽しく過ごしたいっていうところに行きつきました。自分を大切にしたいから、ほしいものを買って喜びたいし、お友達と楽しく遊んだりおいしいものを食べて笑いたい。
ただ、身体が壊れてしまっては意味がなくて。今回のことは何回考えてもどうすればよかったのか自分でもわかりません。環境のせいにしてしまえばそれで終わりってできるけれど、自分にも必ず落ち度はあるはずだから、次は同じようにならないように、無理はしないしもっと周りの人を信頼してたくさん話すことを心がけたい。
自分をそこそこおしゃべりだと思っているのですが、大人に対してのコミュニケーションが全然ダメで。普段気の許した人にしょうもないことばっかり喋っているから、どこかで言葉遣いとか失礼にあたってしまいそう、と思ってほぼ無口になってしまいます。というのも、私自身が周りにいる人を「大人」って認識している時点でおかしいんですが。私がまだ「子ども」でいる認識になってしまってる。まだ気持ちも心も大学生くらいの感覚で生きている。そもそも大人になりたくない!という気持ちでずっと生きてきたから、このマインドはしばらく抜けなさそうだけど、周りの大人の人たちも同じ「人間」という感覚を少しずつ強めていきたいです。。。
8月から仕事復帰して大人と会話も徐々にしているんですが、やっぱり少し苦しい感じ。喉の違和感が戻ってきている。強い気持ちで早く帰る!をモットーに、余裕を持って生活することを第一に生きます。今のところほぼ定時で出て、家で気絶したように寝てしまいます。これを読んでくれているわたしの大切なお友達のみなさんも、自分ファーストで無理なく、1日の中でできるだけ、自分の安心できる場所で長く過ごせるようにしましょう。!ちなみに現在は、面倒なオバサマからいい感じに逃げて話す機会を限界まで減らして自分を守るように努めております。^^では
あしたから
明日からまたお仕事が始まる。
4ヶ月ぶりくらいに一日中動くことになるので、正直どうなるかなんて分からない。
私がよく言うのは、やってみないとわかんないし、大体のことはそのときにならないとわかんない。
この間の面談で、何か質問はありますか?と聞かれて、やってみないとわからないので、その都度お聞きしますっていうくらいだった。この返しがどう映っているのかはわかりません。わからないことだらけです。
私はこの数ヶ月ほとんど一日中家にいて、毎日虚無と共に生活をしていました。
ゆっくりできる〜というふわっとした気持ちと、この先どうしようっていうどろどろした気持ちと、私は一体なんなんだろう、何がしたいんだろう、という虚無がずっとずっと渦巻いていて、気分がいいのか悪いのか、どっちつかずでした。
毎日ほとんど同じ日々、同じことを考えていました。
働かなくていいなら、このままでいたいって思ったり、このままの自分は嫌だって思ったり、結局どうしたいのかなんて、何も分からなかった。
ふと、今の私にとって大切なものってなんだろうって考えたり、これからどんな生活を送りたいんだろうって考えたりした時があった。
答えは割とすぐに出た。そこから、じゃあ自分はどうしたらいいんだろう?と考えたら、お仕事をもう一度始めてみよう、という結論に至りました。
結論を出してから、進む方向が決まって気持ちがスッとしたのか、かなり前向きになりました。
ずっとお仕事に対してマイナスなイメージばかり膨らませていたんだと思う。
もちろん大変なことはある。どの仕事に就いたとしても。その分嬉しいこともきっとあるはずで、これからの私は嬉しいことに焦点を合わせていきたいと思うようになった。
悲しい思いをしたし、自分にとって辛い日々も過ごした。その分私は少し強くなれる気がする。
心配してくれたお友達、先輩も後輩もいて、私という存在が、いろんな人が頭の片隅にいたんだって、嬉しくなりました。ありがとうございます。
前の職場で、私は自分のことを全然話せなくて、相談もできなかった。良くも悪くも、コミュニケーションの大切さを学びました。
自分から話しづらい人が救われるように、私はいろんな人を受け止めたいし、いろんな人のことを知りたいと思っています。
私が経験したみたいに、誰にも話せないなんて悲しい思いが少しでも減るように。
明日からまた新しい日々が始まります。
緊張もあったけど、今はそうでもない。
明日にならないと、明日のことはわからないからね!
楽しみな方のドキドキをたっぷりと、緊張の方のドキドキをちょっぴり準備して、また明日。おやすみなさい^^
いりまじる
King&Prince アリーナツアーのライブ記録と、私のことをすこし。
席はスタンドの後ろの方だったけど、バクステ側だったので全体見渡せてとてもよかった。
大阪城ホールなのでキャパも大きくないので、どの席もやはり神席。近い。
初っ端からドン!って感じで最強の方々が登場。
心臓撃ち抜かれたような衝撃が走りました。
ハァ〜〜〜!!!動いてる〜〜〜!!!歌ってる〜〜〜!!!踊ってる〜〜〜!!!そこで息してるのかァ〜〜〜!!!
とずっと思ってました。
双眼鏡で衣装をまじまじと見て、5人それぞれの衣装の違いを確認しては、にまにましてました。
今回は演出が本当に凄くって(毎回言ってる)、とっても好きでした。
演出をご担当されているのが、私の自担のお方なのでもう尊敬やら大好きな気持ちやらが果てしなく大きくなってきております。。。
たくさんの時間をかけて、たくさん考えてきたんだなあっていうのが凄く伝わるくらいすごかったんです。円盤出たらみんな本当見よう見てください。。。一緒に。。。
MCは本当に面白くて、めっちゃ笑ってた。このメンバーだからこそ出来る話だと思うし、彼らにしかないノリだと思うし。彼らがわちゃわちゃしている光景も可愛くってニヤニヤしちゃうし、話もはちゃめちゃで本当面白くて。
なんかもう本当にすごかった。相変わらずの語彙力。
特に私の自担のお方はズバ抜けて面白くて(個人的意見)、何回見ても私のノリと同じ感じがしています。好きやな〜〜〜って思う、毎回。
コンサートに行くたびに、好きが増して大変です。
5人揃っていても、やっぱり目で追ってしまうし、他のメンバーが目に入ってこないくらいには盲目になってる気がするなコワイ。。。
そういうわけで感想は、最高でした!
でしたが、最後の最後に気分は悪くなってしまいます。
アンコールの時に、スタンドの方にトロッコに乗ったメンバーが来ます。本当に近かったの!でもちゃんと見えなかったんです。
前の方がうちわをめいっぱい上にかかげて、トロッコが進むのと同じようにそのうちわを動かします。
そうすると、私の視界の真前にはうちわしかないのです。本当に最悪でした。
しかもそのうちわを見て、ファンサをもらったらしく、目の前できゃー!と騒いでいて、なんというか呆れてしまって、それ以降はお腹すいたな〜何食べようかな〜とか考えてしまうくらいには、その事実から目を逸らしたいくらい悲しかったのです。
そりゃあ目の前に来たら興奮するのはわかる、わかるんだけど、、、
しかもそうされたら彼らも視界に入れざるを得ないよなって、そりゃうちわ見たら目を逸らすことはできないよなって思いました。
私が頑張って作ったうちわは彼らの視界に少しでも入っていたのだろうか。入ってくれていたらもうそれだけでいいな。。。
今はコンサートに当選しただけしあわせなことだと思うようにしています。この先のコンサート絶対もっと良い席とれるように今後も徳を積んで生きていくと誓います。
そしてコンサートに行って、歌っている姿をみて、私はやっぱり歌う側になってみたいって、思いました。
この数ヶ月、音楽の道に進むか、また別の仕事を探すか、自分の中にこの2つの考えが入り混じって気持ちが不安定になることが毎日のようにありました。
考えては、不安になって、別のことを考えて、また最初の考えに戻って、不安になって、を繰り返しの日々。
なかなか踏み込めずにいて、歌を作ってみたりはしたけれど自信が持てず、そっと蓋を閉じたりもしていて。
でもあの日に彼らの姿を見て、彼らの声を聴いて、私の憧れの姿ってこれだって思いました。
その日の夜から創作意欲も湧いてきて、すこし活気が戻っています。
自分の経験したことも書いたりして、自分で音を決めて歌ってみたらなんか泣いちゃったりもしてしまいました。
私が自信を持って、自分の音楽を作れるように頑張ってみます。
音楽を作ったら _haya23_ というアカウントで公開していきます。
ここだけの秘密です。よろしくです。ではまた。
大好きなお話のはなし
今回は、私の心が揺さぶられたゲームをご紹介します。
どちらも道徳教育にふさわしいと私は思うくらい素晴らしいゲームでよく泣いてます。
ご興味ある方はぜひ。
ここでの世界には、2つの種族【ヒューマ】と【ガジュマ】が存在する。
ある出来事によって種族が対立し、お互いに差別し合う描写があります。このストーリーでは、お互いの容姿や能力など「種族の違い」がテーマとなります。
ストーリーをすすめるにあたり、種族の対立を見ていると、現代社会においても考えさせられることが本当に多いです。
ネタバレになるのですが、ストーリーの中で最も重要で素晴らしい場面がありまして、、、
2つの種族の対立が酷い街があり、そこである人物がお話をするのですが、その最後に
『「おいしい」と感じる心に、種族はありますか?』
という言葉があるんです。なんというかストーリーを知らなくても何かを感じてもらいたいくらい素敵な言葉で。
もちろんストーリーを進めると、なお素晴らしく感じると思うのですが、種族の違いってなんだろう? みんなこの地球に生きる、同じヒトだよねって、この言葉で私は感じられました。もちろんこの場面は何回みても大泣きします。
私たちが生きるこの世界でも、生まれた境遇や生まれた土地、見た目や性別、あらゆる観点での差別はある。
もちろんみんな違うヒトだけれど、同じヒト。
うまく伝えられる自信がないので、みなさん興味がありましたらゲームをプレイしてみてほしいのです、、、
こちらもテイルズシリーズ。
シンフォニアでは、【人間】【エルフ】【ハーフエルフ】が存在します。
この世界では【ハーフエルフ】が疎まれてしまう描写があり、リバース同様差別について考えさせられます(他にも考えさせられることはたくさんあります)。
こちらはとっても長いお話なのでストーリーのご紹介はしません。何周もしている私でも隅々までちゃんとわかってないところあるので。
22時からRTA配信があるそうなので、もし興味ある方はそちらもご参照ください(RTAでも最低8時間はかかるらしいので朝の6時頃までぶっ通しらしいです)。
シンフォニアは本当に長いお話なのですが、それに伴って数えきれないほどたくさんの名言があるのです。
シンフォニアで確か聞いたはずの言葉なのですが、(この情報はあやふやっていう、、)
「言葉は、お互いを理解するためにある」
という言葉がずっと最近心に浮かんでいて。
なんというか、本当そうだよなって思います。
アンチコメントとか、誹謗中傷。言葉を正しく使えば、悲しいことは起こらないはずなのに。
私たち人間が言葉を使うのは、お互いを傷つけ合うためではなくて、お互いを理解するためにあるんだって。
何度ゲームをプレイしても、何度でも考えさせられます。
という感じです、、、
9割自己満足で書きました。
長時間ゲームをすると、長いことやってしまった、、という気持ちに苛まれる時もあるのですが、上の2つのゲームをしていると、学びも含まれるのでなんというか、勉強したような気分になれます(主観)。
他にもたくさん書きたかったのだけど、RTAライブを見るのでここまでにしておきます。本当に素晴らしいゲームです。
ゲームを作ってくださっている皆さん尊敬です。
ちなみにGB/GBAで一番好きなゲームは、とっとこハム太郎2と、とっとこハム太郎4です。ほのぼのしたい時に定期的にプレイしてしまうほど好きです。
私はゲーム内での収集癖が強いので、エンディングにたどりつくまでかなり時間がかかるタイプです。
次は私の近況を残しにやってきます。また今度。
転換期
退職して約1週間、仕事に行けなくなった日から約1ヶ月。
いろんなことを考えました。
占い師さんに見てもらったりもしました。当たっているかはわかりませんが、今は良い転機だと思うことにしました。
何度考えても、自分は会社とか、何かに縛られることがどうしても苦手な気がします。
自分としてできること、自分から何か生み出す人間になりたいと思うようになったし、生きる上で何事も楽しくできることが一番だと改めて思いました。
今は、私のやってみたいことを、とことんやってみる期間です。
私のやりたいこと、楽しいと思えることが、仕事につながってくれたらいいな、と願いながら。
今はどこかの会社に入って仕事をしたい、お金をたくさん稼ぎたい、という気持ちはありません。お金に困ったらもちろん働かないといけないけど…。
自由に自分で何かを生み出したい。そんなエネルギーで溢れている感覚です。
最近はそのエネルギーたちをカタチにしようと奮闘していますが、エネルギーの出し方がイマイチうまくできている気がしていなくて、日々勉強中です。
現在、家族全員が現在それぞれに転機を迎えているようで、私がやりたいことについても、特に何も言ってきません。
(私の心が崩れた瞬間を見たというのもあるのか、好きなことに集中させてくれているのかもしれません)
家族はそれぞれ新しいことに挑戦しようとしている。私も私なりのスタンスで挑戦をしていきます。
家族の他に、そばにいてくれる人も、 やりたいことを肯定してくれるし、教えてくれます。優しい世界で生きていることを実感します。
いろいろやってみる期間ではあるのですが、この国で生活している限り、諸々の手続きをしないといけない…とわかっているのですが、一人で出かけるのは少し億劫になってしまいました。
万が一、会社の方とばったり会ってしまったらと思うと時々怖いです。もう忘れてくれていたらいいな…。
でももし、向こうが私を忘れても、私は忘れられなくなってしまうのが、なんとも言い難い気持ちです。嫌な気持ちって、こびりついてしまうものですね。
とにかく、今は私の中のあらゆる気持ちとか、考えていたことをカタチにできるよう頑張ります。
読んでくださっている皆さん、勝手にどこかで見守ってくれている気になっています。気持ちの記録として残しているものですが、読んでくれてありがとうございます。
私といつでもおしゃべりしてください。おしゃべりする元気と時間はたっぷりあります。
では、今後の私もどうぞよろしくお願いします。
共存のむずかしさ
会社に行けなくなった。
転職して新しい職場で1年働いていたが限界が来た。
ストレスの感じ方は人それぞれだと思うが、私にはかなりストレスと感じられるものが多かったらしい。
ラジオから流れる音楽に合わせて鼻歌を歌っている。
時々声に出して歌うこともある。
私用スマホで業務とは関係のないことを調べている。
社用スマホで会社内の仲良い人とラインをしている。
時々コソコソ話をしてるところを見たこともあった。
近くの席の人が仕事中頻繁に大きな声で喋っている。
(少しの雑談くらいなら…と、最初はなんとも思わなかった。ただ、大きな声の雑談が、毎日、隣から聞こえてくるのはしんどかった。)
誰も注意をしない。これは容認されていることなのかな?
こんなことを思っているのは私だけなのか?
みんなはこれを不快に思わないのか?
ずっと疑問を抱えてモヤモヤして、イライラしながら仕事をしていた。
雑談の中には時々下ネタや悪口も含まれることがあった。不快でしかなかった。気持ち悪かった。
聞きたくもない話をどうして私は聞かなくてはいけないのか。
「自分達だけが楽しいだけ」という空間、私が中学生の時に味わった居心地の悪い空間と同じだった。
誰にも話しかけられないように表情を消して、
耳に蓋をして何も聞いていないフリをする。
ずっと不快で、ずっと居心地が悪くて、自分の表情がどんどん消えていくのがわかった。
真面目に生きているのに、ちゃんと仕事をしているのに、どうして嫌な思いをしなければならないのか。
その日のその人の機嫌で口調、声色が変わるのも私は気づいてしまうことがあった。怖かった。
一緒に仕事をしている先輩に相談もできなかった。
先輩と、鼻歌を歌う人は、仲良しだったから。
先輩に怒られないように、ビクビクしながら仕事をしていたこともあった。
職場には気軽に話ができる人がいなかった。
入社してすぐくらいの時、私のことを「ちびっこ」と呼んだ人もいた。その時から嫌な気持ちは多少あったのだろう。
私のことをよく知るお友達からしたら、本当に?と思うくらいネガティブだと思うでしょう。
ほとんどここ数日の話。
以前は仕事のこと、そんなに嫌だと思っていなかった。
業務内容はそこまで難しくはないし、今は重い責任を持つポジションではないから。
ここ数日、毎日仕事に行きたくないって言い始めていた。
今朝はいつもの時間に起きて、準備をしていたが、どんどん表情が消えていくのが目に見えてわかった。
心拍数が上がって、気分が悪くなっていた。
いつもよりぎりぎりの時間に、やっと着替えて準備が終わった。
マスクを取りにリビングに行って、「会社に行きたくない」と呟いた瞬間に泣いていた。
気づいたら床に泣き崩れていた。行けなくなった。
仕事中に聞きたくない会話を聞くことを想像するだけで、嫌で嫌でたまらなくなった。
今日休みの父と母が、そんなに我慢してまで行く必要はない、と言って私の現状を全て聞いてくれた。
わんこも何か察したのかずっと寄り添ってくれていた。
父も母も、そんな状態になってしまうのなら辞めたほうがいいと言った。
私が仕事を急遽引き継いだ前の人は、私とは違う原因で鬱になってしまったそうで、突然会社に行けなくなり、そのまま退職している。私もそうかもしれない。
ここは私の居場所ではなかった。
小さい嫌なことでも、積もったら大きくなる。
それを言えなかったことがつらかった。
私が偉い人に相談をして、偉い人がその人たちを注意をして、不快な行動や言動が無くなったとしても、その人たちから私に刺さる目線を想像すると怖かった。
私のことを悪者にして、見えないところで陰口を叩くことも容易に想像できてしまう。
「言ってくれればよかったのに」とか、「そんな事気にする?」とか。言うかもしれない。
私の想像ではあるけれど、その可能性が確実に消えない限り、私は逃げることしかできない。
相談しても、しなくても、私の居場所はここではなかったんだ。
こんな事で?って思う人はそう思ってくれたらいいです。冒頭にも書いたように、ストレスの感じ方は人それぞれだと思います。
私にとって嫌なことがあって、それを会社の誰にも言えずにいたらこうなってしまった、ということなだけで、意見は必要ありません。
慰めの言葉も特に必要ありません。私と会っておしゃべりしてくれる人がいたらどこかでお話しましょう。今はまだこの話をすると泣いちゃうかもしれないので、またいつか。
ここは私の今を記録するところなので、これも1つの経験として書いています。消そうと思ったら消す。
ここまで書くくらいの気力はあるので、きっとこの先は大丈夫です。
自分に合った世界をまた一から探したいです。すこし休んでから。
26
昨日、生まれてから26年が経ったみたいです。
本当に実感がなくて驚いています。体感では18年くらい。
私はまだまだ中身が幼くて、大人になりたくない気持ちでいっぱい。
謙遜はできないし、好き嫌いははっきりしていて、好きなものは徹底的に好きになるけど嫌いなものは知らない間に避けちゃうし、基本すぐに嫌なこともいいことも顔に出る。
「社会人」という言葉が未だにしっくりこなくて、お仕事は会社のお手伝いをしている感覚で生きています。
歳をとることって特別だなってそういえば昨年も書いていたと思うのだけれど、私にとって自分の誕生日の数字の並びは本当に特別なものに感じている。
その日は一日うれしい気持ちになる。
誕生日の日は、大好きなMICOちゃんから譲り受けた特別なワンピースを着て過ごしました。
25歳はKing&Prince沼にどっぷりと浸かった年だったなあと思います。
ターコイズブルーの王子を好きになってしまってから、私の身の回りの物はほとんどブルーに染まってしまいました。
ネイルもブルーを使っていないとソワソワするくらいには、どっぷり沼に浸かっています。沼の居心地最高。
ここまで生きてきて、好きなもの、やりたいことが増えたことが私の1番の喜び。
お仕事に就くまで、ずっとやりたいことなんてなかったし、今しているお仕事も思えばそこまでやりたいことでもない気がしている。
好きなものが増えていく中で、これやってみたい!と思うことが出てきて、今はそれを密かに追求している最中です。いつかこれがお仕事になればいいなと思っています。
他にも、お洋服、ネイル、音楽、アイドルとかの趣味も、自分の「好き」がだんだんわかってきた。
その中でも、大学生が終わって、お友達と会う機会が少なくなってから気づいたのは、おしゃべりがとにかく好きだってこと。
仕事中はほとんど喋らないから、久しぶりに会った友達と喋ったりふざけたりするのがとっても楽しくて感動した。
いろんな人の価値観に触れるのも、新鮮で楽しい。
最近お会いできていない人たちとも、久しぶりにお話したい気持ちです。
この文章を読んでくださっている方、気が向いたらおしゃべりしましょう。いろんな人の、最近好きなものとか聞いてみたいね。
さて、新しい歳が始まってからの私の抱負。
やってみたい、で終わらずにちゃんと行動に起こしていくこと。
私はこれからも自分の思う「カワイイ」を追求していきたいし、自分のなりたい自分になっていきたい。
好きなものはとことん好きになっていきたい。
いつまでも18歳くらいの感覚で生きていって、自分のペースで自分の思う大人へ向かっていこうかな。
この2日間おいしいものいっぱい食べて満足したので、また明日からまったりがんばります。^^